|冥王星
「繊細さん」と呼ぶには図太いところがありすぎる、と思う。HSPというのは、ハイリーにセンシティブなパーソンのことを指すのだ。思い当たる部分はたくさんある一方で、私の「これ」を言い表すにはどこかしっくりこないという気もする。
強く共感を覚え、信じて入った会社だったが、実際にしていることは矛盾だらけとわかった途端にさっさと辞めてしまった。そこで会社員をしていた頃も、心の平穏が大切だったので飲み会は断ることが多かったし、多くの人が当たり前のようにしていることも、自分がおかしいと思うことはしなかった。いわゆる「社会人として当たり前のこと」も、まあ多くの人がしていることがそのまま正しいことだとは限らないよなあ、などと思っており、その思いは常に自分の行動に表れていた。かといって、極端に浮いたり孤立したりしているわけでもなく、はた目には和気あいあいと楽しげな様子に映っていたことだろう。だからこそ「これ」に苦しむのだ。
では、ASDはどうだろう。その極端で本質的な思考は、ASD、すなわちアスペルガー症候群の特性に通ずるものがある。でも、と思う。でも、それにしては楽観的すぎる、と。「変わってるね」「なんか人と違う」「つかみどころがない」などと言われることは多かったが、それを苦痛に思ったことは一度もない。むしろその空気をまとっていたから、同じように何かを抱えているであろう人と仲良くなれたのだと思うし、人と違うなら、そんな自分だからこそできることで別の誰かの支えとなりながら生きるのが良いんじゃないかな、と思っている。そしていま、そうやって暮らしているつもりだ。それが叶っているからといって、いまではすっかり生きやすくなりました、というわけにはいかなかったけれど。一見すると「普通」だからこその生きづらさは、依然としてここにある。
けれど結局、奔放にやらせてもらっているおかげで、ものすごく困ってしまったこともないので、専門医か何かにかかったこともないし、だからHSPやASDで、あるかもしれないし、ないかもしれない、シュレーディンガーの猫状態だ。どちらかはわからない。それがしんどい瞬間もあれば、別に構わないと思うこともある。私の「これ」はなんて中途半端なんだろう。
冥王星が惑星から外されたのは、2006年のことだったかな。当時10歳だった私は、どってんかいめいが、どってんかいになったことに、漠然とした哀しみを覚えた。それまでは惑星だと考えられていたものが、突然もうやめにします、今日からは惑星ではありません、と定義されるなんて。定義。
定義づけられると楽になることもあるんだろうな、と思う。でも、定義づけられたから突然「そう」なったのではない。もし「そう」なのなら、これまでもきっと「そう」だったんだろうし、「これからはそう」なのだと定義されたからといって、その日からまったく別の何かになるわけではない。
とりあえず、冥王星は今も冥王星で、これからも存在し続けるのだ。
コメント