不在

鍋に入ったかぼちゃ 隙間

|不在

久しぶりに料理をした。

のろのろと昼過ぎに起き出して、昨日の残りのごはんを温める。 “ 食後のコーヒー ” のためにとりあえず何か食べているかんじがする、と最近よく思う。いつものインスタントコーヒーを切らしてしばらく経つので、「ちょっといいやつ」と私が呼んでいる、休みの日用のドリップパックコーヒーをまた一つ消費する。お湯が沸くのを待ちながら、ぼんやりと今日やりたかったことを思い出そうとする。いつもとたいして変わらない1日の始まりだった。

淹れたてのコーヒーを片手に部屋へ戻り、読みかけの本を手に取る。午後にはすっかり日の当たらなくなった静かなその部屋で、コーヒーを飲みながら本を読むのというのが最近の気に入りだ。「ちょっといいやつ」の特別な匂いがして、いい時間だなと思う。読みかけの小説は好きな作家の短編集で、今日はその話の一つに静子という女が出てきた。静子は七十四歳になる気丈夫な女で、息子の嫁と二人で毎年旅行へ出かけるらしい。静子の、使い込んだやわらかな革のハンドバッグには、チョコレート菓子やらハンドクリームやら ―― たぶんほかにもあれこれといろいろ入れているのだと思う ―― が入っており、嫁が運転する二人きりの車の中で、静子は自分のしわしわの手にハンドクリームを丁寧に塗り込む。感動的でもなんでもないような小説の一場面で、涙が止まらなくなって、ああ、これが。と思った。去年の11月にはほとんど泣かずに、すぐに日常の生活が戻ってきたのに、これが、後になってやってくるってやつなのか、と。たしか、むかし七歳の私と公園で縄跳びをして遊んでくれた「ばあば」は七十二歳で、静子と同じ七十四の時に自転車で転んで縄跳びはできなくなって、それから十六年もの年月が経過していて、いまはもう何をどう頑張っても二度と会えないんだとわかった。


だから、今日は久しぶりに料理をした。料理はそんなに好きではない。でも、鶏肉をトマトで煮込んで塩と胡椒で味付けをしたり、かたいかぼちゃをできるだけ薄く切ったり、芽ヒジキを水でもどして丁寧にすくったりするのは、気分のいいことだった。


夜、頼んでおいたインスタントコーヒーが届いた。明日起きたら、今日作ったかぼちゃでごはんを食べてから、またこれを飲むんだと思う。

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