多くの人が何でもないような顔をして街を歩いているように見えるけれど

電車 隙間

|多くの人が何でもないような顔をして街を歩いているように見えるけれど

どんなことがあっても、容赦なく日常は続く。信じていた人からの裏切りに遭っても、大きな怪我をしても、1人と1匹暮らしでずっとやってきた猫がいなくなっても、突然家族が病気になっても、最愛と思っていた相手とお別れすることになっても、容赦なく日常は続く。

顔を上げると目の前には何事もなかった時と同じように、机があって、マグカップがあって、本があって、何の憂いもなかったあの時に買ったお茶のセットなんかがあって、まるでそれまでと何も変わっていないかのように見えるのに、そうではない。

数えてしまう。ほんの何時間か前までは、憂い事などなかった。昨日の今頃はまだ何も知らなかった。1週間前のあの日はいつも通り過ごしていた。1ヶ月前はあんなに笑顔の写真を撮っていたのに。去年の今頃なんて…
すべてがひっくり返るまでに、1日もあれば充分だ。

それでも、容赦なく日常が続く。ご飯を食べなければならない。仕事に行かなければ。惰性で電車に乗り込む。たくさんの見知らぬ人。外では冷静に対応できている自分がなんだか信じられない。家で泣く。家事などできない。夜は眠らなければならない。

変だと思う。
街ですれ違う何人もの人が、何でもないような顔をして歩いているのは。

奇妙だと思う。
悲しい事がひとつも起こらない人生なんて、ないはずなのに。



多くの人が何でもないような顔をして街を歩いているように見えるけれど、ただすれ違うだけの他人から見たのではわかるはずもない深い傷や悲しみを、誰もが抱えているのかもしれない。

そんな人に、その人を支えてくれる存在があれば良いなと思う。家族でも他人でも趣味でも何でもいいから。どうにかこうにか乗り越えられたら良いなと思う。早く、あの時は本当に大変だったけどおかげで今がもっとよくなったねって、言える日がくれば良いと思う。早く、心配事のない毎日が戻ってくれば良いと思う。それまで、できるだけ前向きに過ごせれば良いと思う。そうして、また心から笑えるようになった時には、それがどれだけ尊くてしあわせなことなのかをその人はよく知っているのだ。

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